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「パンのかけら と ちいさなあくま」 は、オレが通っていた幼稚園に置いてあった絵本のタイトルです (このブログのタイトルもココから拝借してます)。
当時、絵本は好きじゃなかったんですが (女の子が読むモノと決め付けてたので)、あの本だけは何故か今でもしっかり覚えています。 たまたま近所の幼馴染みの家にも置いてあったから尚更かもしれません。 だからといって普通、絵本のタイトルまで覚えていられるモンじゃないんですが、昨年たまたま、甥子のクリスマスプレゼントを考えている時に、フッと思い出したのがキッカケでした。
思い出したのは、物語や、不気味なのに可愛らしい挿絵もなんですが、何より子供心に強く印象に残っていたのが “悪魔が良心を持っている” ことでした。
“この世には完全な善人も、完全な悪人もいない”
昔観た映画 「ディアボロス(The Devil's Advocate)」 では、アル・パチーノ(Al Pcino) が経済界のドン役で出演していて(モデルは間違いなくロックフェラー)、その映画のテーマが “大儀を成す為の小さな悪は必要悪” な感じで、善い事をするにも、その過程で必ず乗り越えなければならない悪事 (犠牲) が存在し、逆にそれを乗り越えられた者だけが大きな 「善」 を行なえる、みたいな何とも割り切れないモノでした。 ちなみに映画では最後、アル・パチーノの片腕となったキアヌ・リーブス(Keanu Reeves) が善悪の狭間で苦悩の末、ボスを裏切るカタチで在野に下る。
無慈悲、非情と云われる一方で、事業家 (石油王) ・慈善活動家として世界的に有名だったロックフェラー氏の 「悪魔信仰」 っぷりは有名らしく、ニューヨークのロックフェラー・センター (現:GEビル) には当時、悪魔に纏わる絵画や彫像が数多く飾ってあったそうです。 誰でも助けるフリだけする 「神」 よりも、敢えて誰も助けない 「悪魔」 こそが真実に映ったんでしょう。
例えば、山間にある人口500人の小さな村が突然、ダム湖建設地となってしまい、村人は猛反対したものの建設が始まってしまう。 村人にとっては大切だった想い出も、伝統も、家も、お墓も、花々も、全て湖の底に消えてゆく。 しかし別の方向から見れば、その下流に住む人口10万人の街では、そのダムのおかげでやっと深刻な水不足から開放され、安心して生活を送れるようになった、と。
全ての人を満足させる事が出来ないことは多分にある。
ロックフェラーの 「悪魔信仰」 も、犠牲になった者達への自責の念が苦しみとなり、その苦しみを和らげるはずの、そして犠牲者を救うはずの「神」の無力さ・無意味さが、それまでの 「信念」 を 「疑念」 に変えてしまった結果なのだと考えた方が自然な気がします。
そう考えてみれば、これまで当ブログで書いてきた人々の・・・、 政治家殺しの右翼員、中国の政治家達、 「もう、国には頼らない」 渡辺美樹氏、井伊直弼、プーチン、曹操孟徳 (映画「Red Cliff」楽しみ) 、そして我々の前の世代 (団塊の世代でもいい) も、それが善かれ悪かれ、個々が客観的にみてどうであれ、本人達が信念を持ってやってきた事には違いない。 そして我々は、その上に乗っかって生きているのも事実。 どうあがこうとも、乗っからずに生きる事なんて出来ないですし。
オレの名は、悪しき子羊。 地に堕ちた世の中で憂いを語る。
★追記★ (2008/11/27)
たまたま今読んでいる小説 「カラマーゾフの兄弟」 にも同じような事が書いてあったので、追記します。
ドストエフスキーの言葉を借りるなら、哀れな人間共が望んでいるのは、キリストが与えると約束した “天上のパン” なんかではなく、“今食べられるパン” なんですよね。 我々は人間である以前に動物だからです。 それを現代に置き換えてみれば、 “目の前にあるパン” のみに価値を置いたのが西側資本主義社会。 そして未だ “天上のパン” こそ絶対的存在なのがイスラム社会、という事でしょう。 しかし面白いのは、その西側社会の根底には 「キリスト教」 という (関係破綻しているかのように思える) 土壌の上に成り立っている点です。 辿れば古くは15世紀のイタリア・ルネッサンス期が、西側社会が “天上のパン” に見切りを付けた時期に当たると思いますが、それでも未だ資本主義とキリスト教の共存が成り立っているのは、結局、宗教が欲望と理性をコントロールするという大きな役割を果たしているからなんでしょうか。 ・・・いや、共存している、成り立っているとは言えませんね。 「資本主義」 という悪への罪悪感が未だ人々から取り払われていないんでしょう。 その罪滅ぼし的存在にキリスト教を残しているんでしょうね。 そう考えると実に潔くない連中の集団です。 キリスト教徒ってのは。
ちなみに 「カラマーゾフの兄弟」 の現在の読書進行状況。 読み始めたのが一年半ほど前・・・で、第一編を読み終わるのに半年ほどかかり、第二編は強烈に面白くて数時間で読み終え、第三篇から第四篇の終わり辺りまでがまた苦痛で読むのに一年ほど労し、第四編の終わり辺りからまた変態的な面白さになり、今、第五編を読んでいる最中なんですが・・・コレがクセ者で・・・。 第五編の 「大審問官」 を何度も読み直しているところです。 ドストエフスキーの云う、“本当に神がいるなら何故、まだ 「罪」 を背負わぬ生まれたばかりの子まで殺すのか?” は、オレもずっと同じことを思ってましたので、何を今更?って感じです。
「絵本ナビ」 / 「パンのかけら と ちいさなあくま」 を紹介・販売しているサイト
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=5069
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吉田松陰と井伊直弼、正義はどちらだ? 勝者はいたのか? 己の信じる道を行く。
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