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『オレが総理大臣ならこうするのに!』 を公約として書いたりしています
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 今日は、自分の内にある 黒いモノ についてです。 病的でネガティブな内容です (記事タイトルは三島由紀夫作品からパクりましたが、内容は無関係です) 。

 長い間書こうか書くまいか迷っていました。 迷っていた理由は、他人に共感してもらえないだろう感情を公表する意味があるのか? 内容的に自虐的で、被害妄想的で、取り留めの無いモノを公表する意味があるのか? と思ったからです。
 しかし結局、今回書くことに踏み切ったのにも理由があります。 公表することで、子供の頃から抱えてきた “黒いモノ” を自分の外に開放できるんじゃないか? との期待です。 “他人に話すと気が楽になる” ってヤツですね。 ただ、友人・知人に話すほどの勇気は持ち得なかった為、ココを利用してみることにしたワケです。
 



■ 告白 ①

 オレは昔から、他人に何事も相談が出来ない人間でした。 だから常に孤立しがちです。 いや正確には、“孤立したがり” なんです。 友人や、オヤジ、元上司からは 『友人や先人の云うことは、その人々の失敗や経験が元になってるんだから、絶対に耳を傾けるべきだ』 とよく言われました。 もちろん、自分もそれが正しいとは思ってるんですが、しかし、どうしてもダメなんです。 「失敗するかもしれない」 と頭では分かっていても、それをあえて何から何まで自分だけで考え抜いて、その通りに実行しないと気が済まないんです。 だからその結果、無駄や失敗が多いです。 遠回りばかりです。 でも、それを望んでるみたいなんです。
 童話 「ウサギとカメ」 で喩えたら、ただでさえノロマなカメが、よせばいいのに沢山寄り道しちゃってる感じです。 おかげで結末も話とは異なり、ゴール前でたっぷり休憩をとったウサギに先にゴールされちゃって、それでも内容で自己満足するタイプです (・・・やっぱ、ちょっと違うかな) 。
 周りは、そんなオレの性格を知っているからこそ口酸っぱく言うのかもしれません。 有り難いことですが、直りそうもありません。 今のところまだ直す気がないんです。 それが何故なのかも、自分では理解してるつもりです。 オレは過程を大切にしたい性質なんです。 というより、過程だけにしか満足・喜びを感じられず、結果には興味が無い、と書いたほうが分かりやすいかもしれません。 後、オレはケアレスミスが多いです。 だからこそ、失敗なら失敗で自分で全責任を取り、骨身に沁み込まさせたいんですよね。

 残念なのは、この性格が 「社会」 では非常に致命的な事です。 頼り、頼られるのが本来の社会ですから。 “任せる” がないと社会の歯車は回りません。 自分で全てを解決させようとする人間には、上手な人間関係は築きにくいでしょう、きっと。


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■ 告白 ②

 『第一印象は大切だ』 と昔からよく耳にしますが、オレは子供の頃からずっとその 「第一印象」 という存在に違和感や理不尽さを感じてきました。 「第一印象」 には、顔つきを含めた容姿や、服装や清潔感、仕草や言葉使いなどが大きく影響しているようですが、ただ最終的には結局、個人個人の “好み” が左右してるにすぎないでしょう。
 人は皆、第一印象という 「先入観」 「偏見」 を基礎に人間関係をつくっているようですが、では皆はどうやって、その 「第一印象」 を決定付けるセンサーを育んできたんでしょうか? 例えば、テレビ時代劇に出てくる悪代官の場合、いかにも悪そうな顔つきです。 でも、あの顔つきをどうして悪人顔だと誰もが感じるんでしょう? テレビ側が植えつけた悪印象? それとも人間が生まれ持っていた感性? それとも生活の過程で学んでいくもの?
 ある人は、『ああいうニガニガしい 「悪人顔」 は純朴な人だからこそ、心の苦悩や葛藤が表面に表れた結果で、逆に、根っからの本当の悪人は感情の無い無表情な顔つきになる』 とも云ってます。 こういう意見にも一理あるかもしれませんし。


 実はオレ、子供の頃から 『必要以上に周りから優遇され過ぎてないか?』 と感じながら生きてきました。 そして、それこそが 「第一印象」 というモノのせいだったんじゃないか?と考えるようになったんです。 何の根拠もないんですが・・・。 しかし、オレにとっては非常にジャマな感情でした。 『オレは他人より贔屓〈ひいき〉や優遇を受け過ぎている』 → 『平等に扱ってほしい』 バカバカしいほど自己中心的で悪質な被害妄想です。

 コレこそが、オレの中で永い時間をかけ育まれてきた 黒いモノ です。

 振り返ってみると、それは幼稚園や学校の担任だった先生達から受けた印象に始まり、社会に出てからも会社の上司だった人達に至るまで。 時にはコチラの肩身が狭くなるほどの贔屓を受け続けてきた気がするんです (具体的に書くと、『自慢している』 と勘違いされそうなので控えます) 。 例えるなら、“可愛い女の子が何かにつけて贔屓される” ようなものですかね。 そこに何の努力や思惑は無いにも関わらず。 不本意ながら場合によってソレは、同級生や同僚からの不要な妬みを生んでしまう事まであります。

 オレはただ単にナルシストで自尊心が強く、思い込みが激しいだけなのかもしれませんね。 それならそれでいいんです。 ただ実際のところ以前、勤めていた会社を退社する決断をした理由の一つが、その 「贔屓被害妄想」 です。 初対面の相手に 『君がウワサの若手No1かね』 と言われ誇らしく感じる人もいるでしょうが、オレは 『オマエがオレの何を知ってるんだ?』 と思ってしまうタチです。 そして 『オマエにそれを吹き込んだ相手が、オレの何を知ってるんだ?』 と。 『オレの表面しか知らないくせに、オレに勝手なレッテルを貼るな』 と。
 子供の頃から、その理由の分からない優遇を感じ続けていたオレは、こと在る事に悩みました。 時には、好印象を与えることで自分へ有利に働く相手には、あえて良い印象を与えないような、くだらない努力もしてきたほどです。 ホント、くだらないです・・・。 我ながら病的だとも思いました。

 人は他人に対して、それぞれの 「先入観」 「偏見」 を持ってるようですが、その固定観念がある為に、普段の印象と異なる印象を与えられた瞬間大きな違和感が発生することもあります。 例えば、自ら勝手な印象で “良い人” だと信じてた人物が、ある時たった一つでも悪い印象を与えようものなら、その人物は以降 “良い人を装った悪い人” となってしまうでしょう。 人の印象というものは、その程度のいい加減なものだと思います。 なのにも関わらず、第一印象は 「絶対的指針」 になっている。 そこが不思議でなりません。
 残酷な事件の犯人が捕まると、必ず近所の人々が言う 『まさかあんな真面目そうな人が?』 。 第一印象のいい加減さを毎度痛感します。
 出会ったばかりの人から、よく 『A型でしょ?』 『B型でしょ?』 と聞かれることも多いですが、あれはきっと相手を自分の既成の固定観念に押し込めたいんでしょうね。 それで安心したいんだと思います。 ただ、実際はどうでしょう? A型は神経質で、B型は大雑把で、なんて云いますが、神経質なところもあるけど大雑把なところもあるし、適当なところもあるけど計画的なところもあったり、一重人格なのか五重人格なのか分からない。 どれにも当てはまるけど、どれにも当てはまらない事のほうが多い筈です。 しかし他人は、今までの “自分の規格” に当てはまらない対象が現れても、無理矢理 “自分の知ってる何か” に当てはめようとする。


“僕をほどいてくれないか”  by  真島昌利 「遠くまで」

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