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『オレが総理大臣ならこうするのに!』 を公約として書いたりしています
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ううう~

 「カラマーゾフの兄弟」 をやっと読み終わりました。

 (「新潮社」 版を) 読み始めたのが2年ほど前で、実に上巻だけで1年半以上、中巻にも半年程かかりはしましたが、下巻は1週間で読み終えられました。
 普段の読書ペースは、月平均10冊ほどだったので、その間 「カラマーゾフ」 と並行して読み進めてきた本を数えるだけで、200冊前後は読んできたことになると、改めてソレに掛かった月日の長さを実感しています・・・。 最初は、とにかく文章の読みづらさが苦痛でした。 しかし、その苦痛を我慢させるだけの面白さがあったから、こうやって読み終える事が出来たんだとも思います。 


 オレが 「読書」 を始めたのは30代になってからで、それまでは殆ど本とは縁の無い生活を送っていました。 そりゃ、数年に1冊くらいは話題の小説やら、薦められたビジネス書やらを読むことがあっても、「習慣」 としての読書ではありませんでしたから。 そんな 「読書」 が、生活の一部と化したキッカケは、ある日たまたまテレビ (NHK衛星だったかな?) で観たシェイクスピアの 「ハムレット」 舞台劇です。 正に、衝撃的とはこの事でしたね。 初めて “言葉” ってこんなに気持ちいいのかと感じました。 それからシェイクスピア物を一通り (いや政治劇・悲劇を中心に) 読み終えた頃には、「活字中毒」 に近くなっていた気がします。
 その後は、何から読んでいいか分からなかったので、新旧のベストセラー書を中心に読み進め、夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、山本周五郎、谷崎潤一郎、宮沢賢治、スタインベック辺りが大好きになりましたし、司馬遼太郎や遠藤周作も大好きです。 最近の作家でも、桐野夏生、天童荒太、熊谷達也辺りは面白いと思います (ただし村上春樹や恩田陸が嫌いで、伊坂幸太郎や重松清にはクドさを感じて飽きました)。 浅田次郎や宮部みゆき、東野圭吾みたいな “数学的?” 構成で気楽に読める本も気分転換程度に読むこともありますし、自分自身だいぶ 「読書」 には慣れた頃だと思ってました。  少なくとも、このドストエフスキー作 「カラマーゾフの兄弟」 にブチ当たるまでは・・・。 「カラマーゾフ」 を読み始めたキッカケはよく覚えてません。 恐らくその頃、随分とこの書の新訳本がブームだったと後から知ったので、眼に止まる機会も多かったからなのかも知れませんね。
 事情を知らず 「新潮文庫」 贔屓なオレは迷わず 「旧訳」 である方を選んだので、確かに、何度読み直してもつじつまの合わない “明らかな” 誤訳だろう箇所や、原文を尊重しすぎて文章の流れを破壊している箇所や、注訳ナシでは日本人には理解し難い固有名詞も多く、その度に不便さ・もどかしさは感じました。 「光文社」 の新訳がどの程度読みやすいのかは分かりませんが、いつかはソッチも読んで比較したいです。 


007.jpg
















 ほんと前半の 「カラマーゾフ」 は、苦痛を伴う読書でした・・・。 思えば第一編は、ただ作業的に読み進めただけでしたから。 しかし、修道院でのやりとりのある第二編に入ると途端、何とも形容しがたい面白さを感じ始め、第三編ではスメルジャコフ登場も手伝って、要所要所の刺激的表現や問題提示などが読み応えあったものの、やはり台詞回しなどが苦痛で、徐々に読書スピードも落ち・・・と思いきや、その後、第四編終盤でスネギリョフが登場する辺りから変態的な面白さに展開し、つづく第五編でのイワンの叙事詩や、ゾシマの遺言の辺りでくりかえし同じ箇所を読み直す・考え直す時期もあったりはしたけど、中巻半ばからやっと始まる 「本題」 以降は、コーリャの登場、リーズの中の悪魔、ミーチャの覚醒、スメルジャコフの誤算、イワンの悪夢、ミーチャの公判、等々な怒涛の展開に終わっていった 。
 特にイワンの云々に関しては、当ブログでも以前から度々取り上げてきたテーマに近いモノだったし、とても興味深く読むことができました。 ただし、この作品は “19世紀” の、しかも 「ロシア正教(キリスト教)」 国家だったという “縛り” の元だからこそ生まれた苦悩・発想も多く含まれるので、現代日本人の多くには実感・共感が湧きづらい・現実離れしたテーマかもしれないとも感じました。 どちらかというと我々日本人には、同じ19世紀を生きたドイツの社会学者マックス・ウェーバーの理論の方がシックリくるでしょうから。



 結局終わってみれば、オレが今まで読んできた自伝的・思想小説の中でも一番面白かった本の一つになりましたね (物語的には少々強引な付箋(ふせん)作りもありましたが、元々ストーリーを楽しむタイプの本じゃないですしね) 。
 “自伝的” といえば、この作品に登場する父フョードルが、ドストエフスキー本人の父親がモデルだと聞いたことがありましたが、当然3人の息子であるドミートリィ、イワン、アリョーシャは全く違う性格のようで実はそっくりなので、“ドストエフスキー本人” という事なんでしょうね。
 あと本作でも感じましたが、こういう思想作家は共通して晩年に “内心告白” 的な作品を残したがる意向にあるように思います。 夏目漱石の 「こころ」 然り、太宰治の 「グッド・バイ」 然り。 人間だれも、死ぬ間際になってやっと自分に正直になれるもんなんでしょうかね。



 「カラマーゾフの兄弟」 は、作中でも著者本人の弁で触れている通り、予め続編執筆が予定されていた二部作でした。 そしてその続編こそが主題になる筈だったそうです。 しかし本作が完成直後、ドストエフスキー本人が他界してしまった為、現実化されぬまま今日に至るワケですが・・・、 なんでしょうか・・・、そんな前フリがなくても本作は完成された作品だったのに、そんな期待を煽るような前フリのせいで続きが読みたくてしょうがない衝動に駆られてしまうのは、オレだけじゃない筈よね・・・。 必ずや “コーリャ少年” が続編の大きな鍵を握る人物になる筈だったでしょうからね。 あれだけ強烈なキャラクターが、あんな中途半端なままでは絶対オカシイですから。




 
  ★ Ameba ブログ : 「タイトル未定」 はじめてみます。

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