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『オレが総理大臣ならこうするのに!』 を公約として書いたりしています
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 今から十数年ほど前、たまたまオレの姉から薦められて読んだ 「木に学べ」 という本がキッカケで、法隆寺に対しては常に関心を持っていました。 その本は、世界最古の木造建築物である法隆寺に、老朽化対策の為一大改修工事を行う事になった際、棟梁を任された宮大工・西岡常一氏の言葉がまとめられた内容だったんですが、その本はある意味、オレの人生観・世界観に大きな変化を与えてくれた一冊としても大切で、幾度となく読み返してきました。
 その本で西岡氏は、まず飛鳥時代の法隆寺建築技術の高さを示すのに、(伝来されている筈のない)古代ギリシャ建築技術である 「エンタシス」 が柱状に用いられている点や、使用された木材の形状が不揃いなのは木目による強度重視だった点、日本の気候では日本産の木材ではないとダメな理由、日光東照宮など後世の木造建築物と比べても如何に当時の建築が理に叶ったものだったのか、などなどを詳しく解説してくれています。 それらだけでも十分面白いんですが、西岡氏の話で一番感動したのは、木の心を知ることで自然との共存の必要性や、自然の恩恵への感謝、日本の文化の奥深さ・美しさなどを学びとっている点でした。 日本って国は本当に、世界に誇れるモノがたくさんある国なんですよ。 


 先日 「NHK総合」 と 「NHK衛星」 とで三夜に渡って放送していた、法隆寺の特集番組を見ました。
 昨年行われた一部修復工事を発端に浮かび上がった “法隆寺の謎” に関する番組でした。 西暦670年法隆寺全焼後、なぜ別の場所に今の法隆寺が再建されたのか? 全焼以前からあった筈の木造仏像はなぜ焼けずに残ってるのか? なぜ法隆寺に奉られている仏像は聖徳太子(今風にいう厩戸王?)がモデルなのか? そもそも何故、法隆寺は建築されたのか?などの解明・解説や、古代建築技術の高さ、携わってきた人々の信仰や情熱などを紹介したんですが、凄く面白かったです。 まだ早いですが、今年一番面白かった番組でしたよ、きっと。 

 “ 「地震と台風の国」 日本に、世界最古の木造建築物がある” という事実だけ見ても、如何に日本人の技術力が高く、物事一つに対し直向さを持っているかを感じられますね。 それだけでも、法隆寺が現存している価値はある気がします。


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 正直、その当時の歴史に関しては関心はあるものの、「日本書紀」 はデタラメっぽくて信じられないし・・・、最新の学説なんかもコロコロ変わったりするし・・・、結局、仏教は政治利用の為に伝来されたワケだし・・・、で真っ向から向き合えない面も個人的に盛りだくさんです。 だけど、それでも “日本文化” としての法隆寺や仏像の存在は心惹かれずにはいられません。 
 あまり他人には話したことが無いんですが、昔から仏像が大好きでした。 その理由は自分自身でも分かりませんが、仏像の写真集などもいくつか持ってます・・・ が、コレは本当に内緒なんです。 だって、『仏像が好き』 なんて言うヤツは変態にしか思えませんからね。 仏像の写真集を買うのなんて、エロ本買う100万倍恥ずかしいんですからね (特にレジが女の子だったりすると) 。 更に、一番好きなテレビ番組が毎年大晦日23時45分からやる 「行く年来る年」 で、冒頭の静かな場所に仏像並んでるシーンなんかが出ると鳥肌が立つんです・・・。 気持ち悪いですか? 異議ナシです。
 


 子供の頃、親戚の爺さんが近所に一人暮らしでいた為、たまに家族で様子を見に行くことがありました。 その家で衝撃的だったのが、けっこう街中に建っている家だったにも関わらず台所が土間だった事と、テレビが 「NHK総合」 と 「NHK教育」 の2チャンネルしか設定されていなかった事です。 子供だったオレは 『このジジイはキチガイだな』 と思ったものですが、そんなオレが、同じくテレビはNHKしか見なくなっているとは夢にも思っててなかったでしょう・・・。 オレもキチガイの仲間入りか・・・、とそれを思い出し自嘲してしまう事もあります。


★ 「NHKオンライン」 NHKホームページ : http://www.nhk.or.jp/

ううう~

 「カラマーゾフの兄弟」 をやっと読み終わりました。

 (「新潮社」 版を) 読み始めたのが2年ほど前で、実に上巻だけで1年半以上、中巻にも半年程かかりはしましたが、下巻は1週間で読み終えられました。
 普段の読書ペースは、月平均10冊ほどだったので、その間 「カラマーゾフ」 と並行して読み進めてきた本を数えるだけで、200冊前後は読んできたことになると、改めてソレに掛かった月日の長さを実感しています・・・。 最初は、とにかく文章の読みづらさが苦痛でした。 しかし、その苦痛を我慢させるだけの面白さがあったから、こうやって読み終える事が出来たんだとも思います。 


 オレが 「読書」 を始めたのは30代になってからで、それまでは殆ど本とは縁の無い生活を送っていました。 そりゃ、数年に1冊くらいは話題の小説やら、薦められたビジネス書やらを読むことがあっても、「習慣」 としての読書ではありませんでしたから。 そんな 「読書」 が、生活の一部と化したキッカケは、ある日たまたまテレビ (NHK衛星だったかな?) で観たシェイクスピアの 「ハムレット」 舞台劇です。 正に、衝撃的とはこの事でしたね。 初めて “言葉” ってこんなに気持ちいいのかと感じました。 それからシェイクスピア物を一通り (いや政治劇・悲劇を中心に) 読み終えた頃には、「活字中毒」 に近くなっていた気がします。
 その後は、何から読んでいいか分からなかったので、新旧のベストセラー書を中心に読み進め、夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、山本周五郎、谷崎潤一郎、宮沢賢治、スタインベック辺りが大好きになりましたし、司馬遼太郎や遠藤周作も大好きです。 最近の作家でも、桐野夏生、天童荒太、熊谷達也辺りは面白いと思います (ただし村上春樹や恩田陸が嫌いで、伊坂幸太郎や重松清にはクドさを感じて飽きました)。 浅田次郎や宮部みゆき、東野圭吾みたいな “数学的?” 構成で気楽に読める本も気分転換程度に読むこともありますし、自分自身だいぶ 「読書」 には慣れた頃だと思ってました。  少なくとも、このドストエフスキー作 「カラマーゾフの兄弟」 にブチ当たるまでは・・・。 「カラマーゾフ」 を読み始めたキッカケはよく覚えてません。 恐らくその頃、随分とこの書の新訳本がブームだったと後から知ったので、眼に止まる機会も多かったからなのかも知れませんね。
 事情を知らず 「新潮文庫」 贔屓なオレは迷わず 「旧訳」 である方を選んだので、確かに、何度読み直してもつじつまの合わない “明らかな” 誤訳だろう箇所や、原文を尊重しすぎて文章の流れを破壊している箇所や、注訳ナシでは日本人には理解し難い固有名詞も多く、その度に不便さ・もどかしさは感じました。 「光文社」 の新訳がどの程度読みやすいのかは分かりませんが、いつかはソッチも読んで比較したいです。 


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 ほんと前半の 「カラマーゾフ」 は、苦痛を伴う読書でした・・・。 思えば第一編は、ただ作業的に読み進めただけでしたから。 しかし、修道院でのやりとりのある第二編に入ると途端、何とも形容しがたい面白さを感じ始め、第三編ではスメルジャコフ登場も手伝って、要所要所の刺激的表現や問題提示などが読み応えあったものの、やはり台詞回しなどが苦痛で、徐々に読書スピードも落ち・・・と思いきや、その後、第四編終盤でスネギリョフが登場する辺りから変態的な面白さに展開し、つづく第五編でのイワンの叙事詩や、ゾシマの遺言の辺りでくりかえし同じ箇所を読み直す・考え直す時期もあったりはしたけど、中巻半ばからやっと始まる 「本題」 以降は、コーリャの登場、リーズの中の悪魔、ミーチャの覚醒、スメルジャコフの誤算、イワンの悪夢、ミーチャの公判、等々な怒涛の展開に終わっていった 。
 特にイワンの云々に関しては、当ブログでも以前から度々取り上げてきたテーマに近いモノだったし、とても興味深く読むことができました。 ただし、この作品は “19世紀” の、しかも 「ロシア正教(キリスト教)」 国家だったという “縛り” の元だからこそ生まれた苦悩・発想も多く含まれるので、現代日本人の多くには実感・共感が湧きづらい・現実離れしたテーマかもしれないとも感じました。 どちらかというと我々日本人には、同じ19世紀を生きたドイツの社会学者マックス・ウェーバーの理論の方がシックリくるでしょうから。



 結局終わってみれば、オレが今まで読んできた自伝的・思想小説の中でも一番面白かった本の一つになりましたね (物語的には少々強引な付箋(ふせん)作りもありましたが、元々ストーリーを楽しむタイプの本じゃないですしね) 。
 “自伝的” といえば、この作品に登場する父フョードルが、ドストエフスキー本人の父親がモデルだと聞いたことがありましたが、当然3人の息子であるドミートリィ、イワン、アリョーシャは全く違う性格のようで実はそっくりなので、“ドストエフスキー本人” という事なんでしょうね。
 あと本作でも感じましたが、こういう思想作家は共通して晩年に “内心告白” 的な作品を残したがる意向にあるように思います。 夏目漱石の 「こころ」 然り、太宰治の 「グッド・バイ」 然り。 人間だれも、死ぬ間際になってやっと自分に正直になれるもんなんでしょうかね。



 「カラマーゾフの兄弟」 は、作中でも著者本人の弁で触れている通り、予め続編執筆が予定されていた二部作でした。 そしてその続編こそが主題になる筈だったそうです。 しかし本作が完成直後、ドストエフスキー本人が他界してしまった為、現実化されぬまま今日に至るワケですが・・・、 なんでしょうか・・・、そんな前フリがなくても本作は完成された作品だったのに、そんな期待を煽るような前フリのせいで続きが読みたくてしょうがない衝動に駆られてしまうのは、オレだけじゃない筈よね・・・。 必ずや “コーリャ少年” が続編の大きな鍵を握る人物になる筈だったでしょうからね。 あれだけ強烈なキャラクターが、あんな中途半端なままでは絶対オカシイですから。




 
  ★ Ameba ブログ : 「タイトル未定」 はじめてみます。

YouTube動画。  Led Zeppelin & The Marz Volta


 今回の動画↓は、レッド・ツェッペリンの1stアルバムに収録されていた 「Dazed And Confused」 のテレビライヴ映像なんですが、オレがゼップ(レッド・ツェッペリン)の中でも一番好きな曲の一つです。 ただし、この曲は、他人の曲なんです。
 70年代、ゼップのやっていた音楽は、元々アメリカのアフリカ移民達が生んだ音楽である 「ブルース」 が発展してゆく過程から生まれたそうです。 実際、彼等も多くのブルース・ミュージシャンの曲もカバーしていて、初期のアルバムには常に数曲のブルース・カバー曲が収録されてたんですが、しかしコレは “カバー” というワケでもないんです。 実はコレ、パクった曲なんです・・・ネコババです。 ファンの中では有名な話らしいんですが、元はといえば (名前も忘れてしまった程) 無名な歌手が歌ってた曲だったんです。 この曲を聴き、ソレを心底気に入ったジミー・ペイジが、(無名歌手の売れてない曲だったことをいいことに) 自分の曲だということにしてしまったんですね・・・。 無茶苦茶な話です。 動画を見てもらえば分かりますが、曲のタイトルの下に作曲者として 「J.Page」 と出てきます。 当時はまだバレてなかったので、アルバムクレジットも含め、“彼の作曲した曲” ということで通ってたんです。
 勿論オレも初めて聞いた当時は、その事実を知らなかったので、ただただこの曲の持つ妖艶で重苦しくて、ウネるようなサウンドのカッコよさが大好きでした。 しかし、考え方によっては、ここがゼップの凄い所でもあるんですよね。 だって、普通ならこんなゴシップが世に流れた時点で、アーティストとしての評価は全て失ってしまうんですから。 そんなものを軽く吹き飛ばしてしまうだけの個性的なオリジナル曲をたくさん生んだゼップだったからこそ、こうして笑い話にできるワケです。 それに実際、“オレオレ詐欺” 被害者であるこのオレですら、未だ胸を張って “ゼップの中で” 一番好きな曲の一つだと言えるくらいなんですから。





 そんな70年代が終わると共に、ロック音楽からは創造性・芸術性が徐々に失われはじめ、商業至上主義の道へと転げ落ちてゆく事になるんですが、しかし、それから20年の空白を経た21世紀の今日に、突如として現れ、オレ達にとっての最後の希望の星になったのが、↓のマーズ・ボルタ (元アット・ザ・ドライヴイン) です。
 既に “ロック” だなんて狭い括りは必要としない “近代音楽の最終形態” いや “小宇宙” 。 それまで誰も経験したことの無いような感動と快感を創造し続け、今最も音楽を自由に表現できる存在。 どれだけ最大級の賞賛・賛美で飾り立てても不当評価にしかならない新人類。
 『彼等の 「伝説」 は現在進行形なのか』 『その彼等と同じ時代にオレも生きている』 と、そう思うだけで幸せを感じます。



 今回の動画は、初めての方にもとっつき易いのを選びましたが、しかし、恐らくコレに興味を持ち、アルバムも聴いてみたはいいけど 『複雑過ぎてサッパリ訳が分からん』 『部分的な良さは判るけど奇怪な部分が多すぎる』 という方も多いかもしれない・・・。  でも決して諦めないで聴き続けて欲しい。 1週間後か、あるいは1年後になるかは分かりませんが、きっと必ず 「開眼」 する時が訪れる筈ですから! 最初は雑音にしか感じなかった部分も必要不可欠な要素で、無駄な音は何一つ無いことに気付く時が来る筈です! そして、その時にはアナタも 「マーズ・ボルタ」 という “新文化” 無しには生きていけない身体になっているかもしれませんし、他の音楽が如何にルールに縛られた音楽だったのかを実感するかもしれませんよ。

YouTube動画。 3月9日なので、レミオロメン 「3月9日」 。




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